You're The One That Save Me

キリストほどの博愛精神というのも怪しいもので、例え、らい者でさえも愛を施せたというのは、私にとっては全くの御伽噺でしかないように感じる。
愛は直面すれば増えるものでもあるまいし、直面しなくても抱けるもので、そして増えるものでもある。ただ、伝えることはできないにしろ。
われわれと彼を分けるものは誰にしろ愛を感じることができたことだろうか。或いは、愛を愛として伝えるところにおいてで、それを博愛というのだろうか。しかし、現実性と可能性のレヴェルの差があれ、私は誰でも愛すことができるというのは、ある種の感傷であったり、人間に対する諦めかもしれないと思う。