習作


津軽

新幹線の中物思いにふけりながら、窓の外を見ていると、いろいろと移り変わる景色の中で時々窓の中にうつる自分と目が合ってしまい、気まずさを覚えてしまう。これから長く続く窮屈な車内の中でもただ、座っていられることが幸いと思っていた自分も少し悔しくなった。
相変わらず、新幹線は目的地に着くこと以外に思うところがないようで脇目も振らず進みながら、私は足元の微妙な揺れに気づかずにはいられなかった。私はおかしいなとは思いつつ、気にしない振りを決め込んで目をつぶって寝た振りをしながら。しかし、私の無邪気な試みも長くは続きはしなかった。突然に大きな音がして座席が上下したかと思うと、目の前のテーブルにおいていたペットボトルは困惑した様子も見せないままぶっきらぼうに床にぶつかり落ちて、透明な水を撒き散らした。水は器に従うものという通り、だらしなさだけが床に覆いかぶさった。私の後ろをつけてきたものがいきなり正体を現した。私は、まさにこの瞬間自分の死を、真実、思った。がくんと私の体は情けなく打ちのめされた。



退屈しのぎに欠伸を一つすると、揺れは収まり車内ではもうすぐ青森であるということが告げられた。私は、この車内にあふれるのはただ狂気だけだと思った。つい先ほどにあれだけ大きな地震があったのに、まだ走るのか。私の終着駅は単に死なのか。冗談にしてはよくできすぎている。もう居ても立ってもいられないと思い、虚しく煙草の煙の蔓延する車内を行ったりきたり、どんと座ってみたり、鏡を見たり、他の客をにらめつけていたりした。
無事に青森に着いた。不可解でわだかまる感情を押さえつけて、一つ一つの歩を噛みしめ、車外に出た。自然、疲れからか欠伸が出た。津軽の寒い空気は欠伸も白くするので何かロマンティックであった。その瞬間までやはり、私は夢を見たのであろうとずしんとのしかかってきた。そして、しばらく囚われていたのだろう。不安の知らせる一つの戯画のようであった。私は、「眠り」の前に思っていたことをもう一度思い返した。それは、虚無に関することで若い頃の自由恋愛も暴飲暴食もつまりナンセンスでしかないということだったように思う。どちらも私の欲を満たし後悔させるだけ時間と金の無駄のように思っていた。将に、眠りというそれらに非常に似たもののによって目を覚まされた。或いは、無意識という最も死に似たものによって。
創痍を恐れずに、夢を見られるならよいと思う、肌寒い津軽。ただ、一人で津軽。何かに会いに来た津軽
向かいの席に座っていた家族の一番小さな私には5・6才に見える子供も欠伸をしていた。



あなたにないものはあなたにとって全く意味のないものでしかないし、心理的ダダイズムに陥ることのないようにして下さいと、今なら言える気もする。


肌寒い津軽、私は今、その津軽にいる。