意地っ張りとか

自信とは経験によって得るものであって、根拠のない自信とは子供じみた全能感である。反対に、無駄な自己否定も過剰な全能感が傷ついた際の疼きである。人は欲求が全て充足される存在、子供でありたいが、人間は哲学的な語彙を使えば、労働や言語によって措定されるものであり、実際的に言えば、能力や境遇によって限界は現れる。時に、特別に愛されたいがため自分は特別な存在であることを証明しようとするが、その自己証明の仕方は凡そ、他人との類比や自己を縛る制限が露になることが大抵だ。
うまく生きていけないのではなく、所詮不完全な自分を受容できないのではないだろうか。畢竟意地っ張りだ。彼も私も。