ラザロの復活

新約聖書も一つの小説として読むとおもしろい気がする。「罪と罰」のラスコリーニコフがキリストといわれるなら、「デミアン」のデミアンもキリストだろう。また、キルケゴールの「死に至る病」も哲学書というより、神学的なエッセイと言ってもなんとなく腑に落ちる。神学というとオカルティックな響きもするけれど、非常におもしろく示唆に富み、深い思考の産物だ。